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口きくのもめんどくさけりゃ、もう死んでしまえ!

口きくのもめんどくさけりゃ、もう死んでしまえ!

ドラえもんがのび太に言った言葉。
ドラえもんは良い事を言うなぁと思う。人は社会の中で生きるものであり、現代人が社会の中で生きるという事はつまりコミュニケーションを取ると言う事、コミュニケーションを取る最もな人のツールはつまり言葉であり喋る事である。

自分の意思表示への努力を放棄するならば死んでしまえ! と、つまり逆を言うなら、社会の中で生きるならば人は人と対話しなければならず、それが生きる事だという事である。

ジャック・ラカンは言う。

――以下ウィキペディアより抜粋――
たとえば、ある大事件に遭遇した人々は、口々にその事件を語る。これは、その大事件という現実的なこと、もしくは現実界(仏:le Re'el)を、言語という象徴界(仏:l'symbolique)を以って描き出そうとしているわけである。証言者Aは事件の決定的瞬間を語り、証言者Bは事件の背景に秘められた事情を語るなど、あらゆる角度から証言がなされる。これらを集めて「事件の全容を解明しよう」という動きが起こったりする。しかし、マスコミ用語としては耳に親しい「事件の全容」なるものは、実際には語り尽くされるのは不可能である。

同じように、どうがんばっても言葉では現実そのものを語ることはできない。「言語は現実を語れない」のである。ところが同時に、人は「言語でしか現実を語れない」。これら二つの命題は、平板に見れば矛盾しているかのように聞こえるが、メビウスの輪のような立体的な論理として考えればそうでないことがわかる。
ゆえに人は、より的確な言葉を探したり、より多くの言葉を重ねていくことによって、少しでも現実に近いものを描き出そうと奮闘する。この誠実さは評価される。それでも、言語活動=現実となる瞬間はない。これが象徴界と現実界が分かたれる一面である。

すなわち、象徴界の参入という「言語との出会い」は、現実をラカンのいう「不可能なもの」(仏:l'impossible)に変える。われわれは一生、それに対する抵抗とあこがれの間で揺れ惑う。しかし人が事故的に現実を垣間見たり、現実に触れたりすることがある。たとえばそれは狂気である。

――抜粋ここまで――

そう、正確性を求めれば求める程、伝えたい事に対して『ズレ』を減少させようと思えば思うほど、言葉の不便さに絶望を覚える。もし、自分の言っている事が何時いかなる時も誰を相手にしてもまったくの誤解もなく伝わると脳天気に思えるのなら、それは想像力も現実認知力も足らない脳足りんだ。

言葉は実に不便である、しかし、ドラえもんは言うのだ「口きくのもめんどくさけりゃ、もう死んでしまえ!」と……!

つまり我々は生きる為にはこの現実に抗い続けねばならず、抗い続ける事こそ、努力し続ける事こそ人の生きる道であるとドラえもんは語るのである。

話し合いやコミュニケーションは大事です。


真夜中になんのトウヘンボクな考察(?)とも呼べないヨタ話を俺は書いているのだろうと思う今日この頃(死)

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