君から奪ったこの真っ赤な血を
広げた罪深きまっさらな白
永遠に狂った不確かな死も
今は掴めそう
ねぇ例えば貴方なら明日もしも
終わりが来るのならば何かをしそう?
最後まで信じて幸せな詩を
君の唄へと
~Rapbit「対象a [Rapbit ver] 」より~
オーディエンス繋がりでらっぷびとな人の曲を聞いてみた。これ良いね。
雪がぱらぱら降って来る夜とか脳内にイメージ映像が出てきます。
ヴァル子さん似合いそうだ(死)
ちなみに「対象a」とはなんぞや? と思って調べたみたところ、心理学のジャック=ラカンという人の言葉らしい。
ラカンの事をウィキペディア先生に聞いてみた。
その中の記述の一節に興味を覚える。
「言語は現実を語れない」が人は「言語でしか現実を語れない」
言葉には欠陥が多い。古人の糟粕。決して全てを現わす事はできない。これには同意できる。それは常々感じていた。
古今東西、人は似たような事を思うらしい。
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ゆえに人は、より的確な言葉を探したり、より多くの言葉を重ねていくことによって、少しでも現実に近いものを描き出そうと奮闘する。この誠実さは評価される。それでも、言語活動=現実となる瞬間はない。これが象徴界と現実界が分かたれる一面である。
すなわち、象徴界の参入という「言語との出会い」は、現実をラカンのいう「不可能なもの」(仏:l'impossible)に変える。われわれは一生、それに対する抵抗とあこがれの間で揺れ惑う。しかし人が事故的に現実を垣間見たり、現実に触れたりすることがある。たとえばそれは狂気である。
――フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用――
狂気とな?
狂えば現実に触れる事ができるのでしょうか。
私には解らぬ領域である。
狂う訳にはいかないので、我々は古来より木を削ったり、石を彫刻したり、絵を描いたり、ウタをウタったりするのではないでしょうか。
芸術はきっと現実への抵抗とあこがれとの摩擦に対抗する、とか思ったり思わなかったり。
しかしまぁ世の中、私にはよく解らん事が多すぎる。
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